今の三年生が入部したのは、三高野球部が準優勝した第87回大会の翌年でした。
県北からでも努力すれば甲子園に行けるんだと、誰もが思った年でした。
そんな中、今の三年生が入部しました。入部して見れば三年生は谷本、日高の2名、こんなチームで甲子園に行けるのかと思った部員も多かったと思います。しかし、ここからが違います。2名の三年生の苦悩、葛藤を目の前にします。これがベスト8を生みました。三年間この子らを外部から見てきて一人一人に感謝の言葉を述べたいと思います、まずはポジション別に、主将、田上、こいつと始めて会ったのは一年生で押さえに出てきた時です、私は噂で聞いてたので、「田上、頑張れ」と声をかけた時に、私を完全に無視しました。この私をですよ。コイツは何様と思ってるんや、この三高野球を、と激怒しました。しかし後から聞いた話では初登板で、周りが何も見えなかったそうです。ふてぶてしく見える田上も本当は繊細なシャイな可愛い奴でした。遠くからいつも駆けつけてくれた両親の恩を忘れるな。捕手の松本、こいつが入部した時は私らオールドファンは直ぐに田淵2世と決めました。現在の田淵全日本コーチでは無く、法政大学でスーパースターの時の田淵です。すらっと長身で久々の大型捕手の登場に我々は胸が躍りました。甲奴から我が三高に来てくれて本当に感謝しました。その松本もチーム事情で一塁手をしたり、ベンチを暖めたりする日が続きました。でも最後の夏の大会では正捕手を勝ち取り、大活躍しました。最後の広島商業戦で、2年生捕手の福永に交代する時の松本の笑顔は最高でした。
ファースト臺君、私が三高野球部を応援してから、最身長の選手です。あの永川君でも188センチ、臺君は190センチです。聞くところによると、少年野球時代も中学時代も途中で野球を止めたとの事
正直、3年間持つのかなーと思いました。ところが、大逆転、日々の練習で守備は上手くなるし。打撃もセンター中心のヒットは沢山見て来ました。在学途中で最愛の母を亡くすと言う本当に辛い経験もしました。しかし大会で一本の安打を打つ以上の経験、すなわち、三年間、三高野球部を貫いた臺君は素晴らしい。二塁手、和田、この子には私の野球人生が変わる程の衝撃を受けました。入部して来た時は、誰もがこんな活躍は想像出来ませんでした。昭和20年代生まれの野球少年の私には、試合途中、エラーしようが、ファインプレーをしようが、いつもニコニコしてる和田を見て、こいつは野球を舐めてるんかと、いつも井坂さんに注意するよう怒ってました。しかし、この子の能力はそんなもんでは、なかったんです。みんなが辛い時もチームが劣勢の時も、いつも笑顔と満塁ホームランで、チームを引っ張って行ってたんですね。和田、ゴメン勘違いしてた。次は私の息子、三塁手大智からです。
県北からでも努力すれば甲子園に行けるんだと、誰もが思った年でした。
そんな中、今の三年生が入部しました。入部して見れば三年生は谷本、日高の2名、こんなチームで甲子園に行けるのかと思った部員も多かったと思います。しかし、ここからが違います。2名の三年生の苦悩、葛藤を目の前にします。これがベスト8を生みました。三年間この子らを外部から見てきて一人一人に感謝の言葉を述べたいと思います、まずはポジション別に、主将、田上、こいつと始めて会ったのは一年生で押さえに出てきた時です、私は噂で聞いてたので、「田上、頑張れ」と声をかけた時に、私を完全に無視しました。この私をですよ。コイツは何様と思ってるんや、この三高野球を、と激怒しました。しかし後から聞いた話では初登板で、周りが何も見えなかったそうです。ふてぶてしく見える田上も本当は繊細なシャイな可愛い奴でした。遠くからいつも駆けつけてくれた両親の恩を忘れるな。捕手の松本、こいつが入部した時は私らオールドファンは直ぐに田淵2世と決めました。現在の田淵全日本コーチでは無く、法政大学でスーパースターの時の田淵です。すらっと長身で久々の大型捕手の登場に我々は胸が躍りました。甲奴から我が三高に来てくれて本当に感謝しました。その松本もチーム事情で一塁手をしたり、ベンチを暖めたりする日が続きました。でも最後の夏の大会では正捕手を勝ち取り、大活躍しました。最後の広島商業戦で、2年生捕手の福永に交代する時の松本の笑顔は最高でした。
ファースト臺君、私が三高野球部を応援してから、最身長の選手です。あの永川君でも188センチ、臺君は190センチです。聞くところによると、少年野球時代も中学時代も途中で野球を止めたとの事
正直、3年間持つのかなーと思いました。ところが、大逆転、日々の練習で守備は上手くなるし。打撃もセンター中心のヒットは沢山見て来ました。在学途中で最愛の母を亡くすと言う本当に辛い経験もしました。しかし大会で一本の安打を打つ以上の経験、すなわち、三年間、三高野球部を貫いた臺君は素晴らしい。二塁手、和田、この子には私の野球人生が変わる程の衝撃を受けました。入部して来た時は、誰もがこんな活躍は想像出来ませんでした。昭和20年代生まれの野球少年の私には、試合途中、エラーしようが、ファインプレーをしようが、いつもニコニコしてる和田を見て、こいつは野球を舐めてるんかと、いつも井坂さんに注意するよう怒ってました。しかし、この子の能力はそんなもんでは、なかったんです。みんなが辛い時もチームが劣勢の時も、いつも笑顔と満塁ホームランで、チームを引っ張って行ってたんですね。和田、ゴメン勘違いしてた。次は私の息子、三塁手大智からです。
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