本日23日の秋季大会県北部予選1回戦で、我が三高は11対3のコールド勝ちで世羅高校に勝利しました。(投手)国岡、中村(捕手)清原、(二塁打)清原、中岡。
明日は三次青陵戦です。
新チームが始動しました。グランドを覗いてみると、然るべき場所に彼等(3年生)の、姿がない。
何とも言えない寂しさがある。しばらくの間、彼等のユニフォーム姿とプレーを思い出しながらボンヤリとグランドを眺めている私。次第に現実のグランドが見えてくる。「やっとおれ等の出番や」と言わんばかりに、一年生が投げるボールを気持ちよさそうに打ち返す選手、夏の経験を糧として黙々とランニングする投手陣、充分に伸びしろのあるチームである。
しばらくはじっくり見守らせてもらおう。今、甲子園で戦ってる高校以外の目標は、春のセンバツである。センバツの大会歌「今ありて」は、前の大会歌の詩に古い表現があるということで、平成5年に阿久悠さんの作詞で谷村真司さんが作曲された曲である。
新しい季節(とき)のはじめに
新しい人が集いて
頬そめる胸のたかぶり
声高な夢の語らい
ああ甲子園 草の芽萌え立ち
駆け巡る風は 青春の息吹か
今ありて 未来も扉を開く
今ありて 時代も連なり始める 暑く、そして熱い夏、今この瞬間を頑張る事が未来に繋がるのです。秋になり、厳しい冬到来、そして春には新しい息吹を感じ、草の芽が萌え立ちます。
「ガンバレ。三高野球部。今、この瞬間を。」
そして、三年生のあいつ等にもガンバレコールを送ろう。春には良い知らせが私の元に届くことを信じて・・・・・・・・・。
三高硬式野球部を4年前に卒業(以前、早稲田大学に合格した村上君の事を書きました。まさにこの時代です)した甲田中出身の寺地君のお兄さん和好さん(23歳)が亡くなられました。
お兄さんは甲田中学時代から捕手として活躍され、崇徳高校に進学され、そこでもレギュラーとして活躍され、そして専門学校に、そこでも捕手として活躍され、新聞にもよく、名前がでてました。都市対抗中国予選でよく活躍されたのを、覚えてます。
そんなお兄さんだから、専門学校を卒業、就職されても、地元の軟式野球クラブに誘われ、チームに入部してました。そんな中、この10日の日曜日、地元の甲田野球場で地区大会を戦っておられる時に倒れられ、脱水症からの心不全で亡くなられとお聞きしました。本日、ご葬儀に列席しました。とてもお父さんの顔を、辛くて見ることが出来ませんでした。
我々が野球をしていた時代は練習中に、水を飲むことは、気合が入ってないとの理由からか、許されてませんでした。だから、私たちは、ボールを探しに行く振りをして、堤防をこえて、水辺でよく川の水を飲んだり、水をグラウンドに撒く時に、どさくさにまぎれて飲んだものです。
しかし現在は水分の補給は当たり前の事ですが、公認され、少年野球大会では、全員一斉に水分を補給する時間も決められてる大会もあります。
三高野球部のみなさんも、これから暑い日の練習、試合が続きますが、水分を充分とって健康管理をしっかりして、調子のおかしい時は、自ら申告して休むくらいの気持ちが必要だと思いました。
寺地和好さんも、今日、お父さんが話されてたように、小さい頃から、病気と言う病気をした経験も無い、健康優良児だったらしいです。水分補給だけが、原因かどうか、素人の私には、言えませんが、皆様におかれましては当分、暑い日が続きます。しっかり水分を取って、仕事にスポーツに頑張りましょう。
和好さん、安らかにお休み下さい。 合掌
本日の第4試合、岐阜県代表、市立岐阜商業対香川県代表、香川西高校戦は、球場にいた人、テレビで見ていた人に、震えるような感動を与えました。結果を先に申しますと4対3で岐阜商業が勝ちました。何に皆が感動したかと申しますと、香川西高校の監督さんの采配です。
通常、県予選を必死に勝ち上がり甲子園出場が決定し20名のベンチ入り選手から苦悩され18名に、それこそ血の滲む思いで絞ります。そして甲子園、どの監督さんも、まず勝利を優先されます。
しかし、流れと言うか、あまりにも相手チームとの力の差が出て、大量リードされると、次に考えられる事は、せっかく18名選んだ全選手に、甲子園での出場機会を与えてやりたいと思うのは、当然の行動だと思います。
しかし、この香川西の監督さんは違いました。8回裏の自軍の攻撃の時、4番バッターに代打を出します。まだ1点差です。しかも県予選から、あまり試合に出る機会の無かった選手をですよ。今年の三高で言えば、田上に代打を出すようのものです。臺君か弓掛君でしょう。ずーと予選から見てると当然、4番バッターの方が確率的にヒットを打つ可能性は高いでしょう。しかし、この監督さんは、我々と考え方が違います。「確かに4番打者の方が確率が高いけど、今日まで、ベンチ入りできなかった、全ての選手で、戦って、この甲子園の土を踏む事が出来たんです。私は全員で戦うんです。」と、大差のゲームならともかく、この後も、どんどん代打を使いました。そして代打の選手達が必死で球に喰らいつきます。最後の最後まで粘り、遂に負けました。
そして試合終了後、観客席から、「何であそこで代打なんや」とか、「試合を早くから捨てるな」とヤジの嵐かと思ったら、大間違い。観客席の全てが「ありがとう」「よく頑張った」と、賞賛の嵐でした。
テレビ解説者の大ベテランの人達も、こんな感動した試合は見たことないと、絶賛してました。
これこそ高校野球、過去、何割打ってるとか、ホームラン何本とか、そう言うデーターはプロ野球の世界で高校野球には通用しません。みんなに活躍の可能性があります。
三高野球部も、こういう野球を目指し、全員野球で頑張ってもらいたいと思います。
8月の試合結果と今後の予定に少し変更がありますので報告します。
8月2日(土)三次高校8ー1沼田高校、三次高校1-6近大福山
8月3日(日)三次高校1-16山陽高校、三次高校1-4山陽高校
8月5日(火)三次高校0-7如水館、三次高校3-12如水館
(総評)三年生が抜けて新チームへの切り替えが出来てません。やはり、これだけの人数になると、1軍、2軍に分けて、常にチーム内の争いをするのと、55名全員が遠征に行っても、あまり意味が無いと思われます。三高に残って日頃、出来ない練習をした方が良いと思います。夏季大会が終われば即、秋季大会です。この大会で来春の甲子園が決まります。皆で気持ちを切り替えて頑張って欲しいものです。
(今後の予定)
8月9日(土)多鹿高校、華陵高校との変則ダブル於:山口県、華陵高校
8月11日(月)松江東高校ダブル 三次高校グラウンド
8月16日(土)廿日市西高校ダブル 三次高校グラウンド
8月17日(日)立正大学湘南ダブル 三次高校グラウンド
8月19日(火)呉港高校ダブル 三次高校グラウンド
秋季大会北部地区予選
8月23日(土)三次高校対世羅高校於:上下球場午前9:00
8月24日(日)三次高校対三次青陵 於:上下球場午前9:00
8月30日(土)三次高校対吉田高校於:上下球場午前9:00
8月31日(日) 予備日
さー短期間で修正して頑張ろう。
(参考)新メンバー初スタメンオーダー
(1)加藤 センター(2)近政 セカンド (3)中岡 サード (4)福永 キャッチャー (5)谷上 ファースト (6)中村 ライト (7)勝浦 ショート (8)山上 レフト (9)国岡 ピッチャー でした。
今日は、最終回の外野手編です。まず一番目は中廣君、入部した時は捕手でした。投手の気持ちを汲んだ采配が目に付き、私たちは買ってました。ところがチーム事情でセカンドに、そして最後は左翼手、どこにコンバートされようと、ふて腐れず、常に前向きに努力してた姿が脳裏に残ってます。打撃も3番を務めたりして、三高の得点王でした。ごくろうさん。
そして渡辺君、この子は長打力だけなら、県下で間違いなくベスト3に入ります。如水館戦の大ホームランは名将、迫田監督をうならせました。あのキーンと言う音でレフトスタンドに飛び込んだ放物線が未だに夢に出るほどです。上でやってみたらと思います。
センター遠藤君、君と始めて話したのは、治療院でしたね、腰に持病を持つ君は、身体を気遣いながら、大会に見事に合わせてきましたね。下位に君の様な打者がいると、投手は不気味なものです。案の定、大会でも攻守に結果がでましたね。あと洗濯物をたたませたらチーム1らしいね。いかにも君らしいエピソードだね。男らしさとは、優しさだよ。しっかり腰をなおしてや。
右翼手、前表君、君は先輩が抜けた2年の秋から、急激に成長しましたね、もともと足の速い君ですから、守備範囲も広く、打撃も右中間に飛ぶライナーが飛躍的に距離が伸びました。そして、あの尾道戦のサヨナラヒット、感動しました。練習はウソをつかないは君のための言葉だね。いつも一番速く球場に現れる君をずーと応援してました。そして体育大会・・・・・・・・・・。
17番弓掛(弓賭け)君、君の練習風景、試合風景は最高でした。一試合、一試合の一打席に賭ける君の姿勢はわれわれ見るものに感動と期待をくれました。最後の方は、「ここは弓掛しか、おらん」といつも声を張り上げてました。監督もやりにくい事もあったと思います。たとえ凡打で終わろうと、弓掛なら、諦めもつくと、周りを納得させる不思議な選手でした。できれば、この大会も弓賭けの最終打席で終わりたかったと思うのは私だけだでは無い筈ですよね。
そして最後は若林君、当然、入部した時はレギュラーを目指していた筈ですよね。しかし、チーム事情から三塁コーチと試合前のノックを担当する事になりました。切り替えの早い君は、すぐに名コーチを目指しました。最初はとまどいながら頑張ってましたが、やがて誰にも信頼されるコーチになりました。後輩達が若林さん、若林さんと、尊敬の念を示す理由がよく解ります。三年間続けて本当によかったね。バス停でも、何処でもあった時にも「コンチハ」と声をかけてくれる君が大好きでした。次のステップに向けて頑張れ。以上、私の思い出は写真と共に永遠に不滅です。
今日は三塁手、佐々木大智君からです。毎週日曜日にカメラを持って出かける私にお客さんは「マスター、我が子もいないのに毎週、毎週よく出かけるねー感心するよ」といつも、からかわれたものです。ところが今年は大智がいて、苗字が一緒なので、ほとんどのお客さんが、私の子供だと勘違いしてくれました。だから大智が活躍した時は良いんですが、そうでない時は・・・・・・。でも一年を通して良い思いが多いかった気がします。特に広島商業戦の超ファインプレーは正に我が子でした。大智ありがとう。
次は職人、松田、職人と言う言葉は、松田にとって古臭くて嫌な言葉かも知れませんが、私らの年代にとっては最高の褒め言葉です。いつも冷静で、チームが困った時の松田の活躍は、本当に感激しました。広島商業戦のアウトにはならなかったけど、球からいつも目を離さない姿勢が、後の佐々木、和田の超ファインプレーを呼び込んだ事は間違いありません。野球を止める事がきても、この何時も球(目標)から目を離さない姿勢だけは、一生大事にしてや。
次はスーパーサブ吉冨君、入部して来た時は二塁手、そして三塁手、そして遊撃手、最後は投手、なんでもやってきたね。特に遊撃手時代は絶好調だったね。そして腰を痛め、長い控え時代、そして復帰。春の尾道戦での、同点スクイズ見事でした。試合後、球場前で声を掛けた時に大泣きを、一緒にしたのが今でも頭から離れません。この涙をめったに見せない私がですよ。有難う。
次回は外野手に感謝です。
今の三年生が入部したのは、三高野球部が準優勝した第87回大会の翌年でした。
県北からでも努力すれば甲子園に行けるんだと、誰もが思った年でした。
そんな中、今の三年生が入部しました。入部して見れば三年生は谷本、日高の2名、こんなチームで甲子園に行けるのかと思った部員も多かったと思います。しかし、ここからが違います。2名の三年生の苦悩、葛藤を目の前にします。これがベスト8を生みました。三年間この子らを外部から見てきて一人一人に感謝の言葉を述べたいと思います、まずはポジション別に、主将、田上、こいつと始めて会ったのは一年生で押さえに出てきた時です、私は噂で聞いてたので、「田上、頑張れ」と声をかけた時に、私を完全に無視しました。この私をですよ。コイツは何様と思ってるんや、この三高野球を、と激怒しました。しかし後から聞いた話では初登板で、周りが何も見えなかったそうです。ふてぶてしく見える田上も本当は繊細なシャイな可愛い奴でした。遠くからいつも駆けつけてくれた両親の恩を忘れるな。捕手の松本、こいつが入部した時は私らオールドファンは直ぐに田淵2世と決めました。現在の田淵全日本コーチでは無く、法政大学でスーパースターの時の田淵です。すらっと長身で久々の大型捕手の登場に我々は胸が躍りました。甲奴から我が三高に来てくれて本当に感謝しました。その松本もチーム事情で一塁手をしたり、ベンチを暖めたりする日が続きました。でも最後の夏の大会では正捕手を勝ち取り、大活躍しました。最後の広島商業戦で、2年生捕手の福永に交代する時の松本の笑顔は最高でした。
ファースト臺君、私が三高野球部を応援してから、最身長の選手です。あの永川君でも188センチ、臺君は190センチです。聞くところによると、少年野球時代も中学時代も途中で野球を止めたとの事
正直、3年間持つのかなーと思いました。ところが、大逆転、日々の練習で守備は上手くなるし。打撃もセンター中心のヒットは沢山見て来ました。在学途中で最愛の母を亡くすと言う本当に辛い経験もしました。しかし大会で一本の安打を打つ以上の経験、すなわち、三年間、三高野球部を貫いた臺君は素晴らしい。二塁手、和田、この子には私の野球人生が変わる程の衝撃を受けました。入部して来た時は、誰もがこんな活躍は想像出来ませんでした。昭和20年代生まれの野球少年の私には、試合途中、エラーしようが、ファインプレーをしようが、いつもニコニコしてる和田を見て、こいつは野球を舐めてるんかと、いつも井坂さんに注意するよう怒ってました。しかし、この子の能力はそんなもんでは、なかったんです。みんなが辛い時もチームが劣勢の時も、いつも笑顔と満塁ホームランで、チームを引っ張って行ってたんですね。和田、ゴメン勘違いしてた。次は私の息子、三塁手大智からです。